【錦江しごと図鑑】猫ちゃんとともに錦江町へ。 松岡さなえさん
今回の錦江しごと図鑑、23人目は子育てを無事に終えて猫と一緒に錦江町に移住してきた松岡さなえさんにお話を伺いました。
大阪生まれ大阪育ちの松岡さん。
二十歳でご結婚、出産を経験されて2人の息子さんの子宝に恵まれ、育児と経理のお仕事を両立させながら忙しい日々を過ごされてきました。
ただ35歳を過ぎた辺りから、ぼんやりと頭に浮かんできたことがあったそう。
「二十歳で結婚してからというもの、家族全員の世話と仕事で毎日目の回る忙しさの中で生きてきたから、自分のことを考える余裕がなかったんです。ただ、私が35歳くらいの時に、上の子が地方の高校へ行って寮生活をはじめたんですよ。そうすると自分の時間を持てるようになって、将来のこととか色々考える余裕が出てくる」
「元々大阪って身体にあってないんちゃうんか?という想いがあって。人も多いし、しんどいし。人が多いと色々なことで苦労をするようになる。なんとかこなしてきたけど、時間もお金も余裕なんてなかったし。自分のことを考えることなんてほんとになかったから、そういう時間も取りたかった。それでぼんやりと地域おこしとか地方への移住っていうことに興味が湧いてきました」
「なんとなくですけど、人生って波があるように思ってて。これまでもその波を感じた時は迷わず乗ってきたんですね。”40歳で単身で移住”。これだな。と」
独自の哲学で人生の方針を決められ、少しずつ準備に入ります。ただ残される家族のことも心配です。
「2人の息子は宝ですね。めっっっっっちゃ可愛い(笑)だから、彼らが独り立ちできるようになるまでは移住は難しいかな〜と思っていました。なので、一人前になるまでは待とうと。下の子はしっかりしてて、進学先も自分で決めて、きっちり勉強して、大学も合格してってやってるから安心」
「ただ、上の子が少し心配。とにかく勉強ができない。野球は好きやから、野球ばっかり(笑)それで高校も野球ができる地方に行ったんですよ。将来どうするの〜?って聞いたら”大学で野球する!”って。おいおいおいって。勉強もせなあかんやろって。根は素直でとってもええ子なんやけど心配でしたね。もう今は高校卒業して、手に職をつけて就職もして生きていくための武器もできた。彼女もちゃんとできて。ちょっと一安心かな」
「元旦那は………まあええわ(笑)」
そんな周りへの配慮も忘れずに日々をこなしつつ、決意を固められてから5年ほどかけて、色々な移住先を探したり、調べたりされたようです。用意周到な計画性の高さが窺われます。
「移住先はどこでもよかったんです。海がおだやかで近くて、猫が一緒だったら。大阪の家には猫が5匹いたんですけど、そのうち2匹を連れて行きたかった」
「2023年の3月にきれいに収まる形で会社も退社できて、1年間かけて本格的に準備することにしました。移住の期限を2024年の3月末に設定して」
「それまでもちょこちょこ調べたりしてましたけど、そこから1年間は、実際に色々なところへ行ってみて生活できるかどうか確かめたりしてました。そこはやっぱり主婦なので。現地の物価だったり、生活する上で必要なものが揃っているか、スーパーが近いか、とか」
「実際には離島も含めて5箇所ほど回ってみました。地方によっては不便やったり、生鮮品がめっちゃ高かったりする。高齢者しかいないような地域だと値段が高かったり。離島だとシングルのトイレットペーパーで600円とか。たっか!って。あとは猫ちゃんと一緒だと住む家の条件だったり、ハードルが一気に上がる。ここは大変でしたね」
「地域おこし協力隊みたいな制度にも興味はあったんですけど、とある地方で関係者のみなさんにお話を聞いたら少し違和感があって、ちょっとちゃうなあ、と」
多くの候補地を回るも、なかなか腑に落ちる移住先が定まらなかったそう。
そんな中、錦江町の存在も知ってはいたようですが、立ち寄る予定はなかったようです。
「元々あんまり錦江町って移住先の候補には入ってなかったんです。それでも移住コーディネーターの方とZoomで話す機会があって。”猫ちゃん飼えそうなところありますか?”って無理を承知で尋ねたら、”シェアハウスで飼えるかも”って言ってくれて。シェアハウスで猫を飼っていいってどういうこと?(笑)って」
「それで離島巡りをしてる時、ある島を目指してたんですけど、そこに行く船がたまたまエンジントラブルで行けなくて、近いから錦江町に行くことにしてみたんです。それが2023年の末頃」
「実際に町を見て、シェアハウスも見学させてもらって、最初はちょっと散らかってたけど片付ければ問題はないかなって思った。あとは生鮮品がとにかく安い!大阪と比べるとあまりにも安いのでびっくりしました。生活費も抑えられるし、ここええかなってなって、お試しでまず3週間滞在してみることにしました。1回大阪に帰って軽自動車にパンパンに荷物詰めてフェリーの"さんふらわあ"(大阪と鹿児島志布志市を結ぶ航路)で海を渡って」
「実際に住み始めてからは、現地での生活が気になる。仕事が見つかるか、説明だけじゃなくて現場をみたかった。そこは何人かの人たちがアテンドしてくれて連れていってもらえましたね。今の仕事はその場で内定をいただいて、生活基盤が確保できることがわかった」
「あとは、移住コーディネーターさんが元々大阪の小学校の先生で子供たちと縁があったり、大阪出身の移住者さんが地元と同じ地域出身の方で、共有の知人がいたり不思議な縁もあった。それで最終的に2024年の3月に錦江町に移住しました」
そんな経緯で大阪に家族を残し、単身で錦江町に来られた松岡さん。
移住してからは大阪時代には経験できなかったことの目白押し。
「まず虫。マジで無理。錦江町で一発目に買ったのが蚊帳。ほんとにこれがあれば安眠できる。ないと無理(笑)」
「あとはシェアハウスに住むのも人生で初めてやったから、新鮮でしたね。人が入れ替わるからみんなの人生に触れることができる。虫をやっつけてくれたり、何人かで食事したり、猫の世話をしてくれたり。人によっては、猫を飼う体験ができて喜んでもらえたり」
「反面、人がいなくなると1人になる時間もちゃんと取れる。こういう感情になるんやな〜って。もし、大阪にあるシェアハウスに入ったとしてもこうはならなかったと思う。こっちなら親戚や子供たちも遊びに来れたりするから自然を満喫させてあげられるし」
「錦江町は大阪と違って時間の流れ方がぜんぜん違う。今はレジ打ちの仕事をさせてもらってますけど、ピークの時間帯でもけっこうのんびりしてる。誰も急いでないし、ゆったりしていて、おばあちゃんとか顔馴染みの人たちと雑談する余裕もある」
「1年かけて準備して、移住して、お金もけっこう使ったけど、貴重な体験をさせてもらってますね。すごい幸せだなって思う。ラッキーだったなって」
最後に今後について少しだけ。
「いざ自分のしたいことを考える余裕のある時間ができたんやけど、実際に何がしたいのかって自分に聞いたら”何にもない!”(笑)」
「今まで家族とか仕事とかに人生を使ってきたから考え方がわからない。自分には特にこれっ!ていうものがないけど、まあ、身軽っちゃ身軽やし、普通の人の感覚でできることをやっていけたらええかな」
<編集後記>
激動の一年を振り返ってご自身の心境も含めて語って下さった松岡さん。
最初は2泊くらいからはじめて、5日〜数週間と徐々に期間を伸ばし、家族にも慣れてもらう期間を設けるなど、周囲への気遣いも忘れません。
ユーモアをたっぷり交えつつ、大変面白くお話をお伺いすることができました。
人生の波を感じたら思い切って乗る、その行動力と意思力、何より前向きな姿勢が後悔をなくし、幸せを感じる原動力になっているのでしょうね。