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花を通して豊かな人生を。花千手

「花屋が多い国は、豊かなんです。」

そうおっしゃるのは、花屋をされている「花千手」の中村千昭|《ちあき》さん。
中村さんは、フラワーアーティストとして作品作りやお花の販売を行っています。

花千手さんが自分自身だと表現された作品。

錦江町の葬儀屋と花屋を経営しているご両親のもとで育った中村さん。学生の頃はデザインの学校に進みたかったそうですが、会社を継いでほしいとご両親から説得され、大阪にある経営の専門学校に進学されました。

卒業後は事務職や専門学校講師として働き、とにかく多忙で寝る暇もなかったという中村さん。心身ともに限界になりそうだった時、「そろそろ戻ってこい。」とお父さんに言われたそうです。
「疲れ果てていなかったら、錦江町に帰ってなかったかも。お父さんに(帰ってくるように)言われて、正直、これで帰れるんだってほっとした。」とおっしゃいます。

錦江町へ戻り、家業のお花の仕事を始めた中村さん。せっかくやるんだったらと、フラワーアレンジメントの教室に通い始めたことが、現在の仕事につながる転機でした。
「自分が何も知らないことを痛感しましたね。花の種類とかは、目からうろこでした。先生や周りの生徒さんが、それはもう素晴らしい手さばきで、お花をイキイキさせていて。私もああなりたい、あそこまでいきたいって思った。」とおっしゃいます。当時の情景を鮮明に覚えているくらい、忘れられない出来事だったそうです。

楽しく創作活動を続けていた中村さんですが、徐々にコンテストで求められるものと自分の表現したいこととのギャップに苦しみ、スランプに陥った時期がありました。
その当時の状況を、「こんなものつくれないし、つくりたくない。こうしたいけど、受け入れてくれないだろうなとか思っちゃったりして、、。モチベーションも上がらなくて何もできなかった。」と振り返ります。

そんな状況が数か月続く中、箱根にあるポーラ美術館での仕事を受けた中村さん。そこで、中世の印象派が描いた原画を特別に見せてもらったとき、衝撃が走ったとおっしゃいます。
「あれは衝撃だった。魂を持っていかれるような。あの時代の人たちは、絵を仕事にできなかった人たちだけど、それでも絵をやめられなかったっていう背景の話を聞いて、みんな命がけでやってたんだなって。魂こもってんなーって。そこでなんかもう自分のことが吹っ切れたんです。」と語る中村さん。

「作りたいものをつくりゃいいんだ、自己満足でもいいやって思ったんですよね。それで吹っ切れたら、なんでも作れるようになった。」と、その絵が中村さんを勇気づけたそう。

絵との出会いがあってから、中村さんはどんな花でもその花らしく、そして作品を通じて自分を表現することに徹されました。「(スランプの時は)変なプライド持ってたなって思う。」と当時を振り返ります。

今では、創作の時間は宝物だとおっしゃる中村さん。

「花屋が多い国は、豊かなんです。」

冒頭にあった中村さんの言葉。中村さんが美術館の絵に出会って豊かな人生を歩まれているように、ご自身の作品で、誰かの心を豊かにしたいという願いが込められています。中村さんの作品は全て一点もの。自分自身や届けたいと思い浮かぶ方に、プレゼントしてみてはいかがでしょうか。


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この記事は、ふるさと納税サイト「ふるさとチョイス」にて掲載している記事です。

花千手さんの作品はこちらから↓


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