【錦江しごと図鑑】自然体の楽曲を作りたい。音楽家 久保慧祐さん
今回の錦江しごと図鑑、18人目は鹿屋市の文化会館で働きながら、錦江町田代の自宅で音楽制作に打ち込まれている久保慧祐さんにお話をお伺いしました。
ご実家が鹿屋市で、お父さまは大学で作曲の教授、お母さまもピアノの先生という音楽一家で育った久保さん。幼い頃から音楽に触れる機会は自然と多くなっていったそうです。
「両親の影響で中学校の頃から作曲に取り組んでいて、バンドを組んで、そこでも作曲を担当していました。書いた楽譜が実際の音になると嬉しいんですよね」
中学生時代から楽曲をコンクールに出品されたりするなど楽曲制作に積極的に携わり続け、大学は東京藝術大学の音楽環境創造科へ進学しました。
「音楽環境創造科は音楽とその周辺分野(社会、文化、テクノロジーなど)の関係性を領域横断的に学ぶ学科です。作曲、音響、アートマネジメントなど色々なゼミがありましたが、私は大半の期間を作曲ゼミで過ごしました」
久保さんは大学の授業や専攻の作曲に勤しむ傍ら、ケルト音楽のサークルに在籍し、アイルランドの音楽を演奏していたそうです。次第に、現地の人々が生活の中でどのように土着の音楽に取り組んでいるのかを実際に見てみたいと考えるようになりました。
そして卒業後は本場アイルランドへ、ワーキングホリデーの制度を活用して単身で行かれます。
「英語もまともに喋れない状態でしたが、日常生活のコミュニケーションはなんとか(笑)。現地で調達したバンジョーという楽器を路上で演奏して、投げ銭をもらっていました。いただいたお金でスーパーへ行き、鶏肉と野菜を買ってスープを作るという日々でした。たまにたくさんいただけた時は羊の肉が買えて、嬉しかったですね(笑)」
帰国後、鹿屋市のご実家へ戻って就職先を探す中で鹿屋市の文化会館の募集があり、無事に採用されました。
「業務内容は貸館対応や公演の企画などですが、就職直後にコロナが流行し始めて休館や公演の中止・延期なども経験しました。そんな中で、『鹿屋市文化会館楽団プロジェクト』という、大隅在住の音楽家で構成される室内楽団のプロジェクトが立ち上げられて、今はその事業の担当をさせていただいていますね。フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ピアノの5人のメンバーで演奏する楽曲の制作も行なっています」
実際に久保さんが作曲された曲を聞くと、何か、どこかしら懐かしさだったり、原風景の景色が想起されます。
「地元大隅地域の民謡を、クラシック音楽の楽器編成に置き換えたアレンジ曲も作っています。クラシック音楽はヨーロッパ由来のものなので、私たち日本人が演奏したり聴いたりする時に、どこか無理をしている感覚があるような気がしていて。演奏家も聴く人も、自分の地域の土着の音楽こそ、自然体で楽しめるのではないかと思って、制作に取り組みました」
そんな久保さんですが、2024年の初頭に錦江町田代地区へ単身引越しされました。
「一人暮らしがしたかったのと、どれだけ音を出してもご近所迷惑にならない環境を探していました。そこで錦江町で地域おこし協力隊をされていた、フルート奏者の伊藤さんに相談して、現在の自宅をご紹介いただきました。とても静かな環境ですごく気に入ってます」
「田代地区の人たちにはやさしく受け入れてもらっています。みんな自然体で自分たちの生活を楽しんでいる。県外から移住してきて、面白いことをされている人たちもちらほらいて、居心地のいい町ですね。夏には上柴立の棒踊りを見学させてもらって、のんかた(飲み会)にも誘っていただきました」
錦江町に来てから初めて得た経験もあったそうです。
「こっちに来てからニジマス釣りにも挑戦しました。はじめは知人に教えてもらって、だんだんと一人で行くようになって。魚を釣って、内臓を出して捌いて食べるのを経験すると、命をいただいて、生かされているということを実感しました。スーパーで買っていた時は理解できていなかったですね。”いただきます”、”ごちそうさま”の重みが増しました」
将来的にはどうなりたいのでしょうか?という質問には久保さんらしい回答が。
「個人的な欲求はあんまり…。細々とでもいいのでこれからもマイペースに自由にやっていきたいですね」
◎編集後記◎
人前に出るのはあまり得意ではないので…と仰り作曲家という道を選択された久保さん。
言葉でも十分にお考えをお伺いできました。
内側に秘める楽曲制作に対する想いは熱く、また真摯に感じられ、聞き手も背筋が伸びる感覚がありました。
ご自身の気持ちに正直に、実直に行動される姿に憧れを抱かれる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
日常生活の中にも喜びを発見できるようになれたら幸せですね。
<関連リンク>
久保さん作曲の楽曲:19〜 / 鹿屋市文化会館楽団プロジェクト