【錦江しごと図鑑】花瀬で牛を育てて半世紀。 瀬戸口哲朗さん
今回の錦江しごと図鑑、20人目は花瀬地区にお住まいで2024年10月に70歳を迎えられた瀬戸口哲朗さんにお話をお伺いしました。
幼少期はお父様の教育方針がとにかく厳しかったそう。
「とにかく親父が厳しくてね。鼻血を出しても『泣くな!』って怒鳴られたりしたもんだよ。姉が4人いて一番上の長女がバレーボールをやりたいって言っても『ダメだ』って言って。そりゃ厳しかった。それであんまりにも不憫だから友達が3人くらい家にやってきて、うちの親父を説得して、やっと許可が降りた」
「うちじゃ買ってもらえなかったから、小学校3年くらいだったかな?大阪に親父の弟さんがいて、その人にはじめてグローブとボールを2組買ってもらったの。嬉しくってね。ソフトボールで集落の地域対抗戦に出たりしてたね」
中学校からはご実家の牛の世話を土日に手伝う傍ら、柔道部に所属するなど身体を動かすことが昔から得意だったそうです。
「中学校からは柔道、高校では陸上部とソフトボール部に所属して身体を動かすことはずっとやってたね。当時、田代高校が分校化されて牛や豚を世話する学科に通ってた。そうすると学校の隣に田んぼがあったりするでしょ。ソフトボールの練習中にわざと外野フライを場外に飛ばして、ボールを取りにいくふりをしてこっそりナスやトマトを拝借して食べてた。ほんのちょっとだよ(笑)」
現在の活発な印象を物語るエピソードです。
瀬戸口さんは高校時代は先生とも仲がよかったようです。
「高校の時は先生も友達みたいなもんだったよ。学校が終わったら先生の家に勝手に上がり込んでステレオレコードなんかを聴いて帰ってたなあ。シルヴィ・バルタンとかベッツイ&クリスとか。懐かしい思い出だね。休みの日になったら友達と先生も一緒に山登りに行ったりしてた。中学と高校の時の先生同士が結婚したりしてみんなでお祝いしたもんだ」
高校卒業後は陸上自衛隊に入隊し、国分駐屯地へ配属されます。
「射撃や銃剣の訓練をしたりして過ごしていたね。自衛隊はスポーツも盛んだったけど、僕はラグビー。ポジションはウイングだった。100m走では誰にも負けなかったから、足の速さが必要なウイングを任されたんだろうね。当時はずいぶんゴツい体格の人がいてすごいな〜なんて思ってたけど、今でも牛の競り市でその人に会うと挨拶するよ。あの頃の元気な面影を残してる」
「その当時は飲ん方(飲み会の意味)もすごくて一晩中ずっとなんて日常茶飯事だった。その頃からお酒は相当鍛えられたね。」
「ここらの地域は”反省会”と称して飲み会だった(笑)最近では少なくなってるけどもね」
秋口になると、繁忙期に入ります。
「お米の刈り入れが終わると今度はじゃがいもの収穫。それが終わると田んぼに堆肥を散布したりこの時期は結構忙しいね。この前は専門家の先生が来て、いい堆肥だって褒めてくれたよ。根粒菌ができてるって」
この土地に生まれて70年が経過しようとしている瀬戸口さんですが、気候の変化も顕著になってきていると仰います。
「年々気温が上がってる。ちょっと前までは夏でも32~33度くらいだったのが、今年は35度くらいでしょ。今年は熱中症になっちゃって通院して点滴してもらった。稲刈りも人にお願いしたりしてちょっと大変だったね」
また猪などの有害鳥獣も増えているそうです。牛に食べさせるための牧草を猪などの獣に食べられる被害が頻発していて、獣が糞をすると匂いが草について牛が嫌がって食べないなど問題も多いそう。
「猪なんかは子連れだと乳房の数を見れば分かるね。親を捕まえても子供が生き残ってるとまた来たり。この前も下の家の前に2頭出てきてた。近所の若いもんにお願いしてるけどなかなかだね」
「この地区で牛をやってる若い人たちはまとまってていいよ。受精士の資格を持ってる若いもんにうちもお願いしてるし助かってるよ。前は花瀬でもいい種牛を買い付けてきて、いっときは商売も良かったんだけどね。また買い付けられればいいよね」
「過疎化が進んで昔ながらのやり方は通用しなくなってきてるよね。トラクターにも冷暖房が付いててサンダルで畑を耕してる。時代が変わってる。技術が進歩してお金がかかるようになった」
最後に楽しみを伺うと、予想通りの答えが。
「毎晩の楽しみは晩酌(笑)これが一番の楽しみ。将来とかは特にこだわりはないけど、飲めないのが一番だめかな。牛の価格が下がってるから、この仕事もいつまでできるかな。はっはっは」
<編集後記>
すごく目がキラキラしている瀬戸口さん。
ご近所さんからは、"てっちゃん"の愛称で呼ばれ、年齢を問わずフラットにお付き合いされている様子が伝わります。
明るく前向きな人生を送られて来たのがその表情に現れていました。豊かな自然と対峙して生きて来られた証なのでしょうね。