【錦江しごと図鑑】人と地域と未来をつなげる。 錦江町MIRAIサポート 久保秀作さん
今回の錦江しごと図鑑、24人目は錦江町で移住者と地元の事業者を繋ぐ錦江町MIRAIサポートを運営されている久保秀作さんにお話をお伺いしました。
元々、田代地区のご実家に高校卒業までお住まいだった久保さん。
高校卒業と同時に上京し、大学卒業後は約30年ほど銀行マンとして精力的にお仕事をされてこられました。
「銀行では海外との外為*の資金決済という専門分野に従事してました」
(※外為:がいため 外国為替の略。海外通貨と日本円など異なる通過を様々な手段で決済する)
「外為は安全に資金を運ぶために為替の動きや各国の情勢に気を配るのは勿論、コンプライアンスや相手の会社や地元の銀行の信用度なんかも調査しなくちゃならない。専門的な知識なしには勤まらない業務でした」
「僕のチームには40~50人いて、会社からの期待もあったんだろうけど、55歳になったら退職する!と所属の会社は前もって伝えて根回ししていました」
バリバリのやり手だったことが伺われる久保さん。ただ、銀行員時代から、地方創生に興味があり、田代地区にある実家の田んぼも継ぎたかったようです。
「本当は2020年に退社して帰郷する予定だったんだけど、コロナの影響で少し時期のズレが生じたものの、3年ほど前かな?2021年10月に帰郷しました」
成人し、自立した子供たちは関東で就業しているようで、久保さん自身は退職後1年間ほど鹿児島と東京を行ったり来たりする充電生活を送ります。
その後、大手コンサルタント会社で外為の専門技術を活かした外資系の会社を担当する職に就く予定でしたが、先方の会社の都合で半年以上返答を待たされることに。
「そんなこんなで返事を待っていたタイミングで、錦江町の新田町長から電話があったんですよ。(地域起こしにまつわる今の)責任者として事業を立ち上げてくれないかって」
「事業の内容をヒアリングする中で、これは僕が元々希望していた事業体に形が近い、と感じて受けることにしました。外資系の会社はいつ返答があるかもわからないし、そっちの担当者も仕方ないって感じで」
現在、久保さんが責任者として運営している『錦江町MIRAIサポート協同組合』は特定地域づくり事業協同組合制度で設立された法人です。
地方から錦江町へ移住してくる人を正社員として迎え入れ、地元地域の事業者へマルチワーカーとして派遣する。移住者と事業者をうまくマッチングさせて、雇用の需要と供給に応える環境を整備するのが目的だ。
事業の立ち上げはすべてが何もないゼロからの状態だったようで、これまで経験されてこなかったご苦労も。
「これまでは銀行という大きな母体があったため、労務管理や経理などは専門の部署で対応していて、自分は自分の仕事に集中できる環境が整っていました」
「ただ、事業の立ち上げとなるとそうはいかない。法人を登記するための書類作成にはじまり、人材の募集、面接、採用後のフォロー、シフトの調整や経理も自分で担当してますね。銀行員時代は必要のなかった簿記の勉強もゼロからのスタートでした」
「あとは制度の関係で、行政に提出する書類が膨大な量になる。これも最初は大変でしたけど、事業運営のためには透明性の確保が必須条件になるから、ちゃんとやらないとだめですよね。ここら辺は協同組合の新規事業をサポートする法人がコンサルタントに入ってくれていて助かってます。入ってもらってなかったら立ち行かなかったかも」
さらに重要なのが地元の業者さんとの付き合いだという。
「信頼関係をとにかく深めることが重要ですよ。飲み会やイベントの話があれば必ず参加するし、とにかく顔を覚えてもらう。これまでもずっと継続してやってますね」
「SNSを使った求人も、今までは他のスタッフに任せていたんだけど、入れ替わりがあって、僕が対応する必要が出てきて、やることが増えました。今うちは2年目で現在の社員数は5名(インタビュー当時)。当面は移住者10名を目標にしてます」
「人を呼べるような、発信能力が高い人だったり、人間力の高い人。人間関係に強く、能動的で、自分から進んで色々なコミュニティに参加できる人。人間関係にストレスを感じない人を募集しています」
「みんな鹿児島にくると、鹿児島市内とか指宿、霧島とか薩摩半島の方に行ってしまう。大隅半島にはなかなか来ないので、知人をこっちに来させたりして、強制的に体験してもらう機会を増やしてます(笑)」
事業の展望と合わせて、錦江町の印象も少しだけお伺いしました。
「自然が豊かなのはいうまでもなく、人がとにかくいい。みんな温厚でやさしい。風土がそうさせるのかも。あとは飯。東京でちょっといいところに連れてってもらっても、”錦江町の方が美味いな”と感じたりしますね」
「鹿児島は食料自給率が全国平均に対してかなり高くて、錦江町も農業や畜産に長けている。観光資源も豊富にあるからもっと活かせるようにしていきたいですよね」
そんな久保さんですが、東京から錦江町に住まいを変えられて、何か心境の変化はあったのでしょうか。
「銀行員時代は日々、仕事で失敗できないプレッシャーがあってストレスがとんでもなかった」
「決済がうまくいかなかったり、詐欺に巻き込まれたり、海外の銀行が突然倒産するリスクもある。決済で少しでも失敗すると後処理に加えて多種の報告関連でさらに多忙を極めました。しまいには他の人の報告書の書き方の指南までやってました(笑)」
「またある時は、今では笑い話ですが、私のサインが入った小切手がアメリカ中に出回るという危険な事態にも合いましたよ。あわや塀の中という場面でしたけど、結局、それは社外の誰かの仕業で、疑いは晴れました」
「反面、こっちに来てからはそういった仕事のストレスはほとんどなくなりました。自分で運営できるから、自分で予定を組めるし、都合を付けられる。時間に追われることがなくなって、脳みその構造自体が変化してきたように感じますね。元々、温泉好きということもあって、仕事終わりにはネッピー館へ寄ってから(帰る)。とても安くて助かってます」
「今取り組んでいる事業が軌道に乗ってきたら、実家の米作りにももっと腰を据えたいですね。あとは地方創生にも力を入れられたらと思っています」
「現代はインターネットがあるおかげでどこにいても仕事ができる環境が整っているからいいですよね。私も月1で東京に行って、元の会社の関係者と会ったり、関係を繋いでいます。これからは都会と田舎の行ったり来たりが理想の働き方なのでは」
たくさんのことに意欲的にチャレンジされている久保さん。そのモチベーションの源泉はどこにあるのでしょうか。
「田代にいた頃から、人と違ったことがやりたいという気持ちがあったんですよ。40年前の当時、この地域から東京の六大学に行こうという友人はほとんどいなかったし(笑)父を説得して、浪人して入学して」
「大学の剣道部の繋がりが銀行員時代の人脈を拡げられた要因かも。実業団や関東学生連盟、OB会に参画したり。調布では地元の道場で子供連れに指導したり、自治会長も務めましたよ。人との繋がりを重視して生きています。断れない性格でもあるんですけどね(笑)」
最後に世界の未来について。
「どの国も平和になって世界の調和が取れるといいな、と思います。世界を大事にするには、国、地域、ひいては家族との絆を大事にする必要があるし、人との縁を大事にする必要がありますね。日本も芯のある国になってほしいし、芯のある人が育ってほしいと願っています」
参考リンク)錦江MIRAIサポート協同組合
<編集後記>
話出すと物凄くパワーのある久保さん。
55歳になったら錦江町に戻る、という想いを実際に行動にうつされるなど、初志貫徹の意思の強さも感じました。
経験の豊富さから成るお話の内容も多岐に渡り、勉強になるのはさることながら、何にでもチャレンジして形にしていく精神は本当に学ぶべきことが多かったように思います。
みなさんは将来どのような人生を送りたいとお考えですか?