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現場の体験が自分と未来をつくる。菖蒲久志さん

錦江しごと図鑑。6人目は、建設会社桑原組で建築部部長をされている菖蒲久志しょうぶひさしさんです。
町の建設に関わる人なら知らない人はいないというほど、多くの町の建築物に携わってこられた菖蒲さん。
現場のやりがいや次世代へ繋ぐことについて伺いました。


小中高と、ずっと地元で育ってきたという菖蒲さん。
高校を卒業したら体を動かす技術仕事がしたいと、福岡の鉄鋼会社に就職する予定でした。
「就職の誓約書まで出して、もう就職っていう段階まで来ていたんです。それで兄がいたんだけど、 12月28日に急に亡くなってしまったんですよね。バタバタで逝ってしまったもんだから、親は看病もほとんどできなかったんです。だから親が自分の子どもを亡くしてどういう気持ちかを思ったら、外には出られなかったですね」

福岡へ就職することを諦め、地元で何をしようかと考えていたところ、お母さんから「叔父と一緒に大工仕事をすればいい」と言われたそうです。

「『大工はどこでも飯食っていけるから』って言って。それならもう始めようと思って、 高校卒業する前からもう働いていました」

「もともと叔父も桑原組で仕事をしていて。公共工事があればそこで仕事をして、それが終われば自分で請け負った民間の仕事をしていたんです」

「だから私も公共工事も民間工事も勉強させてもらったから、環境がよかったんですよね。もちろんここでも食っていけるけれども、都会に出ても職人としてやっていけるようにってうちの母も考えたんでしょうね」

その後、現場での経験を重ねて、36歳で一級建築士になった菖蒲さん。
住宅はもちろん、役場や学校など、錦江町の公共施設はほとんど菖蒲さんが現場や設計で関わったそうです。
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「徹夜をしたのも何日やろうなあ。コンクリートっちゅうのは、気温が下がれば固まらないわけ。12月1月ごろは熱を逃がさないようにして、 固まりやすくするように徹夜で火を焚いたりしてた」

「あと記憶に残ってるのは、日本舞踊の舞踊教室。小学校の先生をしながら舞踊教室をしている人に設計から頼まれて、色々打ち合わせをしながら作り上げていって。最後にね、『よかった。お前に頼んでよかった』って言われてね。それは、一番記憶に残ってるかな」

「こういうのがいいんじゃないかって設計の中でいっぱい考えて、実際工事になってまた考えたりしながらそれがどんどん形になっていって。最後に完成した時の達成感もそうだし、頼んでくれた人が喜んでくれたら、もう言うことないですね。あれをまた味わいたいな」

今は町も高齢化が進み、新築住宅を建てる人がほとんどいない状況で、昔に比べて仕事が減っているとおっしゃいます。
家を改修したいけど、そんなに長くこの世にいないからと諦める高齢者の方もいるそうです。

「やっぱり人が減ってきてるからね。若い人たちも入ってきてくれてるけど、孫が暮らせるような地域であったり人間関係ができたりとか、そういう社会になってくれればいいなと思う」

「みんな危機感があるけれども、どうやったらいいのかはわからない。どうなるのかなって。もう我々の世代は終わりに近づいてるけど、もうやっぱり先がね。自分の子どももここにおるからなおさら考えるよね」

現在は現場をもう30年ほど離れ、あまり楽しみがないとおっしゃる菖蒲さん。今は若手が仕事を全部取って、自分の仕事がなくなることが楽しみだとおっしゃいます。

「ただただ自分が楽したいから。やれっていった時には俺が1回は責任を取るからって。それで2回、3回同じ失敗するのは絶対許さんけど、1回許すからやってみなって」

「なんでも聞いてもらっていいわけよ。先輩が知ってて、 自分が知らないことがある時は、自分で勉強しないといけない。 だけど自分が分かったことは、先輩であろうと誰であろうと、こうした方がよかよ、ああした方がよかよってって言うこと。お互いがやっぱり伸びないとね。自分だけが伸びてもいいことないから」

その教え方は、師匠だった叔父さんから教わったそう。

「弟子として来たからには教えてやらないかんわけ。ただ人を使っとったんじゃ伸びないよねということで、やれやれって言われてた。だから公共工事で写真管理から現場管理から全部習ったし、民間に行けば木造の墨付けやら組み方やら、全部教えてもらってきました」

そして自分の失敗もたくさんしてきたとおっしゃいます。

「例えば32センチに切りなさいと言われたのに、23センチで切ったりとかね。これはもう材料として使えないわけですよね」

「失敗はね、誰でもあることだから、それはもういいと思う。1つのことを言ったら、そのことに対してまた付随することがあるわけ。それを応用してやっていけるかっていうところは大事かな。その積み重ねでようやくここまでこれたので」

若手の社員たちからは、的確なアドバイスをくれると信頼が厚い菖蒲さん。その秘訣は自分が経験することだとおっしゃいます。

「一生懸命考えるんだよな。あの時自分はどうしたっけっていうことは考える。経験した記憶はあるから、それを辿っていけば出てくる。身体で覚えてるからね」

もしまた現場の仕事で携われるなら、住宅をつくりたいとおっしゃる菖蒲さん。

「建築の基本はやっぱり住宅じゃないかなと思うんだよね。昔も竪穴式住居があって、それからだんだん発達してきて今の住宅になってきたから」

「我々の考え方と今の若い人たちの考え方とはまた全然違うからね。我々は昔の作り方にはなってしまうんだけど、設計から施工まで。夢はやっぱり住宅をやりたいよね。建築は建ってなんぼだから」


編集後記
町内の依頼者から下請けの業者さんまで、さまざまな人から信頼されている菖蒲さん。
伺った事務所の雰囲気はあたたかく、失敗してもいいことや、分からないことはなんでも聞いてという雰囲気など、若い世代にのびのびと成長できる環境を自然とつくられているのだろうなと思いました。
家を建てるとなるとハウスメーカーが当たり前になってきていますが、桑原組のような地元の建築会社にも目を向けるきっかけになれば幸いです。


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